事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。1コリント1:21
宣教とは、誰の目にも快いとされるものではありません。宣教とは、御言葉を伝えることです。罪人に悔い改めるように伝えるには、神の戒めを説き、人々が罪を犯していることを教えなければなりません。それは、相手の心を傷つける行為でもあるのです。
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。ヘブル4:12
ヨナが神の命令に背いて逃げたのも、このためなのです。神はヨナに歌を歌って人を悔い改めに導けとは決して命じませんでした。
伝道におけるあなたの武器は何ですか?甘い言葉や優しい笑顔ですか?明るい性格ですか?もしそれなら、あなたは福音を正しく伝えていないのでしょう。
福音とは罪の赦しだけではありません。正しく生きることが神の力によって可能だと伝えて行くことです。それを御言葉でバックアップできますか?
イエス様の兵士(クリスチャン)は神の武具を身につけ、神の言葉を武器にしなければなりません。あなたが人を傷つけているのではなく、神の言葉が鋭く心に突き刺さるためです。イエス様の言葉に力があるからです。
あなたの優しさや親切さを、神の言葉よりも優先してはいけません。
もし、神の言葉よりも人間的な温かさで人を導こうとしているなら、あなたは弱虫であり、高慢であり、そしてイエス様を信じていないことになります。
(新改訳聖書より引用)
Evangelist Yumi, Acts 29 Japan
www.acts29japan.com
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿