2012年8月3日金曜日

質問回答その1「歌を伝道の武器にしていませんか?」について

前回の記事「歌を伝道の武器にしていませんか?」を読んでいただきありがとうございました。 おかげさまで大反響を呼び、質問もいくつかお受けしましたので、その回答の一部を掲載したいと思います。 このブログを通して皆様に祝福がありますように。

 【質問】賛美や奉仕は証となり、証の手段として賛美をしてもよいのではないか?

【回答】
 まず、証は福音ではありません。 また、音楽を通して伝道するようにという命令は聖書のどこにありますか? 

宣教とは御言葉を宣言して行く行為です。
律法を提示することは、今のあなたの現在の姿を示してくれます。
あなたが今どんな状態であるのか。
そのままで神に喜ばれるのか、あるいは怒りのあまり地獄に落とされる状態なのか。
そして、初めて自分には助けが必要だと理解できるのです。

 多くの人が誤解していますが、福音とはあなたの罪を赦すこと、それだけではないのです!!
 洗礼を受けたからといって、必ずしも天国にいけるとは限りません。
 暗闇のうちを歩いているのなら、神と正しい関係にありません。
 福音とは、罪から解き放たれることが可能であると知らせることです。
 罪から解放されるとは、もう罪を犯し続ける必要がないということです。
 暗闇の世界から解放され、イエス様が歩んでこられたように、聖い生き方をすることが可能であり、そうすることで救われるのです。
なぜなら、罪人は天国にいけないからです。
そのためには、罪を悔い改め、イエス様を救い主、あなたの人生の主として受け入れ、聖霊に造りかえてもらわなければならないのです。


 すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。-ヘブル12:14 


「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」1ヨハネ1:6,7 


賛美歌を歌うことによって、このような説明ができますか? 
賛美や奉仕はクリスチャンとして当たり前の行為ですが、それは伝道とは言えません。 


「というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。」 1コリント9:16 


「こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。」ヤコブ4;17

(新改訳聖書より引用)

 Evangelist Yumi, Acts 29 Japan
www.acts29japan.com



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