2012年8月4日土曜日

反論に対する回答2「歌を伝道の武器にしていませんか?」について

まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。-マタイ12:34 


聖書は心に満ちていることが口から出てくると言っています。
聖霊に満たされた人間は当然御言葉が出てきます。
 それが生きる基準だからです。

 宣教とは、御言葉を宣言して行く行為であり、また礼拝でもあります。
イエス様が弟子達を世に送り出したのは、歌を歌わせるためではなく、悔い改めの宣教をさせるためです。
イエス様ご自身がそうでした。
バプテスマのヨハネもペテロもそうです。
それが神の御心なのです。 


この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」-マタイ4:17 


神は、ご自分の定められた時に、このみことばを宣教によって明らかにされました。私は、この宣教を私たちの救い主なる神の命令によって、ゆだねられたのです。――このパウロから、-テトス1:3 


神様が人を救う手段に宣教を定めました。私でも他の牧師でもないのです。もし、これが受け入れられないのなら、あなたは神の反逆者です。 


事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。-1コリント1:21 


あなたが御言葉を宣言し続ける宣教を恥じるなら、イエス様もあなたを恥じることでしょう。
もし、宣教を愚かなことだと思うのなら、その宣教は御言葉に従順だという証拠です。
宣教の言葉の愚かさを通して人を救うのが神だからです。 


このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」ーマルコ8:38 



ヨハネのバプテスマが殺されたのはなぜでしょうか? 神の言葉を宣言し続けたからです。
イエス様が殺されたのはなぜですか? 父なる神の言葉を宣言し続けたからです。
 ステファノが殺されたのはなぜでしょうか? イエス様の復活の証人として御言葉を曲げなかったからです。
 歌を歌って殺されたのではないのです。
 歌は宣教ではないのです。


神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。ーヘブル4:12

御言葉は鋭く聞き手の心を貫きます。罪にまみれた生き方をしている人間は、当然のように拒絶反応が出てきます。自分が正しいと主張し続けるなら、神はその人を高慢な者とみなしますが、反省し、救いを求める者はへりくだった者として、恵みを豊かに注ぎ、救いに導くのです。


しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」ーヤコブ4:6


それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。ーテトス3:7

 もし聖書の言葉を受け入れないまま賛美歌を歌っているのなら、それは真の賛美ではありません。ただ気分がよくなるために歌っているだけであり、それを伝道と言っているなら高慢でしかありません。
何を伝道しているのか、非常に疑問です。


(新改訳聖書より引用)



Evangelist Yumi, Acts 29 Japan
www.acts29japan.com





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1 件のコメント:

  1. コメントありがとうございます。
    彼女が信じていたカトリックはキリスト教ではありません。

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