2012年6月16日土曜日

The Holy Birth of Jesus


Luke 2:7And she brought forth her firstborn son, and wrapped him in swaddling clothes, and laid him in a manger; because there was no room for them in the inn.


Jesus was born separated from the world. How Holy it was! People might have judged Mary and Joseph as sinful but in fact they were truly obedient to God. 


Matthew 5:3Blessed are the poor in spirit: for theirs is the kingdom of heaven.


Who were at the presence when baby Jesus was born? There were Joseph and Mary with some animals in the stable. Also the shepherds rushed into there and worshiped Him. They all had a pure heart so that they didn't suspect angel's messages from God and could be a witness of the birth of Jesus the Savior. Further more even the foreign wise men were eager to see the King of Jews in person and worship Him. They didn't wish for any rewards but just wanted to see the Prince to worship. And they changed their ways to home since they had warnings from God in their dreams. 


Matthew 2:2 Saying, Where is he that is born King of the Jews? for we have seen his star in the east, and are come to worship him.
Matthew 2:12 And being warned of God in a dream that they should not return to Herod, they departed into their own country another way. 


The King Herod stands for the wicked world and God protected Jesus and the wise men from his attacks. He didn't just save their lives from Herod but also their path unto holiness from the world. The wise men worshiped young Jesus… The Bible tells us how we should worship the Lord and that is to worship Him by living out holiness in our life. So I believe since they worshiped Jesus in person they changed their way of living into the new one which was sepearated from the world. 


Psalm 96:9Oworship the LORD in the beauty of holiness: fear before him, all the earth. 

Matthew 5:8 Blessed are the pure in heart: for they shall see God. 

They really saw God. When we seem to have difficulties, we will remember where the blessings and protection come from. When we have a pure heart, God will protect us from the evil and we will keep on walking the path of holiness.

May God bless you!

(KJV)

Evangelist Yumi, Acts 29 Japan
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2012年6月8日金曜日

まことに、まことに、あなたがたに告げます。ーイエス・キリスト

そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。(ヨハネ10:7)

イエス様が「まことに、まことに、あなたがたに告げます。」と言うとき、私たちがイエス様に対して自分の意見を述べることを望んでいるのではなく、むしろ御言葉に聞き従うことを望んでいるのです。誰もがイエス様の声を聞けるわけではありません。イエス様の羊だけに聞こえるのです。その羊とはへりくだった心を持ち、恵みを受け取って羊飼いに従って行く用意ができているのです。 

 
  しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(ヤコブ4:6)
イエス様は羊の門(KJVではdoorー扉と訳されています)と言っていますが、羊や扉とはどのようなものなのでしょうか? 

 扉といえば、ノアの箱船が思い浮かぶことでしょう。ノアは扉をくぐって箱船に入り、神が最後にその扉を閉めました。誰もが箱船に入ったわけではなく、ただノアとその家族だけが入ったのでした。ノアは神の御前に完全であり義の(正しい)人でした。ノアは神様の命令をすべて守り抜きました。それとまったく同じように、私たちも扉(イエス様)をくぐるとき、神の目に義であり完全でなければならないのです。 


まことに、まことに、あなたがたに告げます。だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」(ヨハネ8:51) 


主イエス様は私たちの羊飼いであるとともに、神の子羊でもあります。裁きの座で、イエス様はご自分が着ているような純白でけがれのない衣を私たちも着ているかどうか見ることでしょう。 


 そこで、王は言った。『友よ。あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。(22:12) 


 この礼服とは、聖潔の実であり、別の言い方をすれば私たちはこの人生をどのように生きてきたかを表すものなのです。 


その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。(黙示録7:9)


 (新改訳聖書より引用)


Evangelist Yumi, Acts 29 Japan
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2012年5月27日日曜日

ルカ6:32 - 伝道

自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。ルカ6:32

私たちクリスチャンが語りかけていく人々は、私たちの友ではありません。むしろ敵です。私たちはこの汚い世界、邪悪な世界にイエス様の証人として出て行かなければなりません。彼らはさまざまな方法で私たちを傷つけて行くことでしょう。そのときこそ、この御言葉(ルカ6:32)を思い出しましょう。

 そして神様は私たちがまだ罪人であったときから私たちを愛してくださり、ひとり子イエス様をこの世に送ってくださったことを思い出しましょう。イエス様は私たちの罪のために死なれました。そして今私たちはイエス様のために命をささげる聖なる兵士なのです。

 どうか御言葉に励まされ、あなたの光をこの世で輝かせてください。それは、どんな中傷や悪態にも打ちのめされることなく、御言葉によって勇気づけられ、イエス様のなさった御業を宣言していくことです。あなたは一人ではありません。いつも、主がともにおられます。

  わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。イザヤ43:4 

この御言葉は主の言葉に忠実な人に与えられた神からのメッセージです。 みなさんに、たくさんの祝福がありますように。


 (新改訳聖書より引用)


Evangelist Yumi, Acts 29 Japan 
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2012年3月31日土曜日

どっちが本当のお母さんなの?-ソロモン王の知恵の話より

ダビデ王の子ソロモンは若くして王位を継承しました。神様が夢に現れ、一つだけ願いをかなえてあげようといわれた時、ソロモンはこう答えました。


  善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。ー1列王記3:9 


ソロモン王は神様に知恵を求めましたが、それは神様の御心にそった願いだったので受け入れられました。
 その頃に、二人の遊女が赤ちゃんを抱えてソロモン王に正しい捌きを求めてやってきました。

以下長いですが、この話を知らない方もいらっしゃると思うので、聖書より抜粋します。


 そのころ、ふたりの遊女が王のところに来て、その前に立った。ひとりの女が言った。


「わが君。私とこの女とは同じ家に住んでおります。私はこの女といっしょに家にいるとき子どもを産みました。 


 ところが、私が子どもを産んで三日たつと、この女も子どもを産みました。家には私たちのほか、だれもいっしょにいた者はなく、家にはただ私たちふたりだけでした。 


 ところが、夜の間に、この女の産んだ子が死にました。この女が自分の子の上に伏したからです。 


朝、私が子どもに乳を飲ませようとして起きてみると、どうでしょう、子どもは死んでいるではありませんか。朝、その子をよく見てみると、まあ、その子は私が産んだ子ではないのです。」 


 すると、もうひとりの女が言った。


「いいえ、生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子です。」先の女は言った。


「いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子です。」こうして、女たちは王の前で言い合った。 


 そこで王は言った。「ひとりは『生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子だ。』と言い、また、もうひとりは『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ。』と言う。」 


 そして、王は、「剣をここに持って来なさい。」と命じた。


剣が王の前に持って来られると、王は言った。


「生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい。」 


 すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。


「わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。」


しかし、もうひとりの女は、「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください。」と言った。 


 そこで王は宣告を下して言った。


「生きている子どもを初めの女に与えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」 


 イスラエル人はみな、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。ー1列王記3:16-28 


 この二人の遊女、つまり売春婦の赤ちゃんをめぐる言い争いは、ソロモン王が剣で赤ちゃんを突き刺そうとするまで続きました。

 この剣についてお話したいと思います。
聖書には剣に関する記述がいくつかありますが、霊的な意味において神の言葉(聖書の御言葉)が剣であると示されています。


 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。エペソ6:17 


 つまり、この話を理解するためには、ソロモン王が示した剣とは本物の剣であったと同時に、神の言葉であったと読み取る必要があります。
神の言葉の性質について、聖書はこのように教えています。 


神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。ヘブル4:12 


 ソロモン王が剣で赤ちゃんを二つに裂こうとした時、一人の女性が生きたままもう一人の女性に赤ちゃんを渡すように懇願しました。この女性が生きている赤ちゃんの本物の母親でした。

この緊迫した場面で、彼女の心にはさまざまなことが走馬灯のようにかけめぐったことでしょう。遊女である二人の赤ちゃんは、自分の夫ではない人の子であったと思われます。神の掟(十戒)では姦淫を厳しく禁じていますが、その掟である神の言葉にふれ、彼女は悔い改めました。

 神の言葉は真理であり、人に罪を示し、悔い改めに導く力がその本質としてあります。それで彼女は自分の赤ちゃんの命を深く愛しく思い、真実の母親として一緒に暮らす権利を放棄し、偽りの女性に手渡そうと決意したのでした。

これは、自己を十字架につけてイエス様に従う姿を私達に教えてくれます。


 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。ーマタイ10:38,39 


 一方、別の女性は赤ちゃんを殺してしまって、どちらのものでもないようにしてほしいとソロモン王に言いました。彼女には赤ちゃんに対する愛情や憐れみの心がなかったのです。
剣、すなわち神の言葉によって彼女の本性があらわにされたのでした。

そして、ソロモン王は二人に判決を言い渡しました。当然、赤ちゃんを生きたまま他の女性に譲ろうとした女性が、本物の母親です。


 知恵のある者の心はその口をさとし、そのことばに理解を増し加える。箴言16:23 


 ソロモン王はまず神の御前にへりくだって知恵を求めました。その知恵とは、実は神であり、ことばであるイエス様です。


 知恵であるわたしは分別を住みかとする。そこには知識と思慮とがある。箴言8:12 


わたしによって、王たちは治め、君主たちは正義を制定する。箴言8:15 


 聖書は知恵の宝庫です。私達は自分の知恵をふりしぼって問題を解決しようとしがちですが、もっと神の言葉を信頼しましょう。人の心を変えるのは真理(神の言葉)です。真理は善悪を浮き彫りにし、へりくだる者には恵みを豊かにふり注ぎ、救いにいたる悔い改めに導き、邪心の者の目に覆いをかけます。


 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」ヤコブ4:6 


それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。2コリント4:3,4 


しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。2コリント3:16 


 (新改訳聖書より引用)


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2012年3月30日金曜日

あなたの聖書は削除されていませんか? ーマタイ9章13節

マタイ9:13 あなたの聖書はなんと言っていますか?まず、英語について先に述べてみます。

 King James Version では、「...というのはわたしは正しい人を招くためではなく、罪人を悔い改めさせるために来たのだ」と訳されています。

 一方、New International Version とNew American Standard Version (その他)では悔い改めという文字が削除されています。「...というのは、私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのだ」

 では、日本語の主要翻訳を見てみましょう。


 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。 新改訳


 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。新共同訳


 わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。 口語訳


 わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。 回復訳


 わたしは、自分を正しいと思っている人たちのためにではなく、罪人を神に立ち返らせるために来たのです。 リビングバイブル


 悔い改めに言及しているのはリビングバイブルだけでした。

 御言葉の削除は大きな罪であり、裁きが待っています。翻訳が間違っていると知りながら、それでも気にしないでいるのは正しいことではありません。私たちは常に真理を追究していく必要があります。


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2012年3月24日土曜日

主を賛美するとはー詩編96編9節の正しい解釈

皆さんはどの日本語聖書をお読みでしょうか? 
すべての聖書が正しい翻訳をしているわけではないのです。日本語でも他の言語でもどの聖書もある部分が正しく翻訳されている一方で、他の部分が誤訳の場合が多いのです。 
その中で英語の欽定訳(King James Version)が最も原語に近いと言われており、高い評価を受けています。その反対に、御言葉を勝手に削除したり曲解していることで有名なのが、New International Version(NIV)です。 

では、今回は詩編96編9節の翻訳についてみてみましょう。

  O worship the LORD in the beauty of holiness: fear before him, all the earth. (KJV)
(おお、聖さのうちに主を賛美せよ。全地よ、主の御前に恐れよ。)

  Worship the LORD in the splendor of his holiness; tremble before him, all the earth. (NIV)
(「主の」聖潔さの麗しさのうちに主を賛美せよ。全地よ、主の御前におののけ) 


この二つの違いが分かるでしょうか?
 KJVではin the beauty of holiness とあるのに対し、NIVではin the splendor of his holiness と表現されています。
  in the beauty of holiness を直訳すると聖潔の美しさのうちにあってという意味です。聖霊の力で罪から清められたクリスチャンは、イエス様にすがりながら罪を犯さないように生きるようになります。それは神の目に美しく映るのです。 


ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。1テモテ2:8(新改訳) 


このきよい手とは、聖なる生活を送ることです。罪を犯さない清らかな生活をして、祈りなさいと言っているのです。いつでも神様が求めているのは聖い生活なのです。 

すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。 ヘブル12:14 

つまり詩編96:9の意味は、聖なる者に生まれ変わった者として、罪を犯さないで聖い生活を行うことによって、主なる神を賛美せよ、全地において主の御前で恐れよ、ということなのです。 

では、このことをふまえて他の翻訳を見てみましょう。 
まず、先にあげたNIVについて意味を確認してみましょう。 


神の聖さの麗しさのうちに主を賛美せよ、全地において主の御前でおののけ。 


これは神の聖さだけを主張しており、私たちが御言葉に従順であれとは言っていません。このことが大きな違いであり、神の言葉をあいまいにしていることになるのです。 

次に日本語の主な翻訳を見てみましょう。

聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。全地よ。主の御前に、おののけ。(新改訳) 


聖なる飾り物を身につけよとありますが、聖なる飾り物とは何でしょうか? 神様は私たちの表面を見るのではなく、生き方そのものを見て喜ばれるのです。下の1ペテロ3章を読んでみてください。 


 それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。 あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。1ペテロ3:2-4 (新改訳) 

 では、次に口語訳と新共同訳を見てみましょう。 

 聖なる装いをして主を拝め、全地よ、そのみ前におののけ。(口語訳) 


 新改訳と似た解釈です。聖なる衣装とはカトリックの聖職者が身につけているような衣装でしょうか? 服装や装飾品のことを神様が求めているわけではないのです。 


聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。全地よ、御前におののけ。(新共同訳) 


 これはNIVの解釈に似ています。神の聖さだけを主張しています。 


 同時に、きよい生活を守りなさい。 全地は神様の前で震えおののくべきなのです。 (リビングバイブル) 


この御言葉に関しては、これまでの中でリビングバイブルの翻訳が原語に近いようです。
 (注意:リビングバイブルのすべてが正しいと言っているわけではありません) 


最後に、worship(ワーシップ)という意味についてお話します。 worshipは日本語では礼拝する、賛美するという意味です。ワーシップソングという言葉があるように、教会で歌を歌うことを賛美するとも表現しています。けれども、ワーシップとはただ単に歌ったり、手をあげたり、手を打ったり、あるいは表面的に何かを宣言することでもないのです。


 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。ヨハネ4:24(新共同訳) 


なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。(口語訳) 


真理とはイエス様です。そして聖霊は私たちに聖なる生活ができるように力を与えてくださいます。聖霊を受け入れているなら、私たちは罪の軛から解放されたのです。 真理と御霊によって礼拝するとは、聖霊の力によって聖い生活をし、そのことによって主を崇めるということです。私たちの生き方そのものが、主への賛美となるのです。 

主を賛美しますというとき、あなたの実際の生き方が主を賛美しているかどうか、よく吟味してください。 


 Evangelist Yumi, Acts 29 Japan 


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2012年2月28日火曜日

それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。(創世記7章16節)



創世記6-8章にかけて、ノアと洪水の話が記録されています。当時人間は堕落しきっていて、神様は人間を造られたことさえ後悔し、心を痛めていました。
それほど乱れた世の中にあって、ノアだけが神の言葉を守り、正しい人と神に認められていました。それで神様はノアとノアの息子夫婦、あらゆる動物を1つがいずつだけを残して、すべてを滅ぼそうと決意しました。
神様はノアに巨大な船(箱舟)を造り、その中に自分の家族と動物達を入れ、その後四十日四十夜雨を降らせ洪水し、残りの人類と動物を滅ぼすことを教えました。ノアは神様の言われたとおり箱舟の材料をみつけ、建造しました。ノアは神様にまったく忠実な義(正しい)の人でした。
箱舟を造っている間、他の人間はノアをからかい、そんな気違いじみたことをするな、もっとこの世の快楽を楽しもうではないかと誘っていたはずです。あるいは、箱舟建造自体を妨害していたでしょう。ノアはそれでも聖なる生き方(聖潔)を宣べ伝え、罪をやめるように伝えていました。
また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。ー2ペテロ2:5

さて、長い月日を経て箱舟が完成すると、ノアは各動物と自分の家族を箱舟に乗せ、最後に自分が乗り込みました。そのとき、箱舟のドアを神様が閉めたのです。
はいったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。-創世記7:16

このドアを神様が閉めたという事実に私は非常に大きな怖れを抱いています。
このドアはノアが入るまで開いており、ノアの家族以外でももしみだらな生き方を悔い改め、主なる神様に立ち返っていたのなら、その人たちも入ることができたはずなのです。でも、誰も悔いらためる人がなかったので、ノアを最後に戸を閉められたのです。
そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。ー創世記6:3

神様がこの世を造られた時、人間の寿命は何百年もありました。たとえば、最初の人アダムは930年生きました。ノアは950歳で死にました。
でも、ノアの時代の頃には人は神様に逆らって生きていました。神様は人に失望し、寿命を120年に定めたのでした。注意したいのは、人類全体の寿命がすぐに120年におさまったわけではなく、ノアは950年生き、その後同じく義と認められたアブラハムは175年、その妻サラは127年、その子孫ヨセフは110年生きました。
今日環境や諸条件によって寿命の長さは変わりますが、寿命の長さは最高おおよそ120年とされています。誰もが120年生きられるわけではなく、人それぞれ命の長さも異なります。私達はこの最高120年の間に、イエス様と個人的に出会い、イエス様を救い主として受け入れ、聖霊によって生まれ変わり、聖なる生き方を貫き通し、聖なる生活(聖潔)の実を実らせなければならないのです。
ある人は人生の若い時期に神を賛美し始めますが、死に際になってようやく主を受け入れる人もいます。しかしながら多くの人は福音を無視し続け、滅びにいたる広い道を通って、人生のさまざまな快楽、道楽を味わい、イエス様を受け入れることをしません。ソロモン王は次のように警告しました。
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。-伝道の書12:1

実際子供たちでさえ神様を賛美していたと聖書は語っています。
ところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ。」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。
 そしてイエスに言った。「あなたは、子どもたちが何と言っているか、お聞きですか。」イエスは言われた。「聞いています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された。』とあるのを、あなたがたは読まなかったのですか。」-マタイ21:15,16

天と地を支配しているのは神様だけです。人は肉体の死後生きている間の行いに応じて捌きを受けます。

なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。-2コリント5:10


その日がいつなのかは、神様だけがご存知であり、その日を決めるのも神様だけです。

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いた
ちも子も知りません。ただ父(神様)だけが知っておられます。マタイ24:36

その時イエス様を受け入れていなかった人、イエス様の命じたことを行っていなかった人は、イエス様とともに新しい天と地(今回は詳細記述は省略しますが、今ある天とこの地球はいずれ滅びます。その後に神様は新しい天と地を造り、クリスチャンはそこで永遠に暮らすことができます)に住むことはできません。つまり、燃える火の池(地獄)に落とされます。
ノアは神様がこの世を滅ぼすこと、神様の言葉を聞き、正しく生きなければならないことを宣べ(のべ)伝えていました。でも、誰も彼を信じようとせず、馬鹿にし、自分達の快楽の中で生き続けました。それは、現代でも変わらないのです。
クリスチャンはこれまでの生き方は神様の目に正しくないから悔い改めて、イエス様を救い主として受け入れるように、そうでないと裁きの日に地獄に落とされると福音を宣教しています。これを伝道といいますが、それに対してすぐに自分の行いを省み、イエス様に立ち返る人はどのくらいいるでしょうか?神様の存在やイエス様の話をどれくらい真剣に聞いているのでしょうか?
ないものねだりで人は隣人をうらやましがったり、憎んだり、嘘をついたり、だましたり、盗んだりします。そのような人間が天国にいけないという話を、はたしてあなたは信じていますか?命のない木や石の仏像を拝んだり、死んでしまって力のない先祖を自分の神のように拝んだりすることで、自分の命を地獄に追いやっていることに気がついていますか?クリスチャンになったのに、自分は罪人だから罪を犯しても仕方ないといって、イエス様の十字架の業を否定していませんか?清い生活を行うように語る人間をあざ笑ったりしていませんか?
今日でもノアの時代と同じことがおきています。そして、まもなく神様は救いのドアを閉じようとしています。
悔い改める人はその船の中に入れます。でも、そうでない人は今回は洪水によって滅ぼされるのではなく、生きたまま火の海に投げ込まれ、そこで永遠に苦しむことになります。
こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。しかも、彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。-黙示録16:9

神様はあなたが悔い改めて救いのうちに入ってほしいと願っています。最後の瞬間まで待っています。そのドアが閉ざされる前に、イエス様を受け入れてください。
当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
 そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。2ペテロ 3:6-14

(新改訳聖書より引用)

Evangelist Yumi, Acts 29 Japan