2012年8月27日月曜日

John 10:1-5


John 10:1-5 
 1 Verily, verily, I say unto you, He that entereth not by the door into the sheepfold, but climbeth up some other way, the same is a thief and a robber.2 But he that entereth in by the door is the shepherd of the sheep.3 To him the porter openeth; and the sheep hear his voice: and he calleth his own sheep by name, and leadeth them out.4 And when he putteth forth his own sheep, he goeth before them, and the sheep follow him: for they know his voice.5 And a stranger will they not follow, but will flee from him: for they know not the voice of strangers. 

I found the verse one very impressive because “the door” is remindful of Noah’s Ark and “some other way” suggests us the false teachings and doctrines or everything unholy. Jesus is the only way for us to enter the Kingdom of God.

Genesis 6:16 A window shalt thou make to the ark, and in a cubit shalt thou finish it above; and the door of the ark shalt thou set in the side thereof; with lower, second, and third stories shalt thou make it.
 Genesis 7:16  And they that went in, went in male and female of all flesh, as God had commanded him: and the Lord shut him in.
John 14:6 Jesus saith unto him, I am the way, the truth, and the life: no man cometh unto the Father, but by me. 
We are flock that follows Jesus as our Shepherd.  We are protected from evil by Him when we are in the sheepfold. Then how is the sheepfold like?
My dictionary reads as below.
sheepfold: an area in a field surrounded by a fence or wall where sheep are kept for safety. -Oxford English Dictionary

Sheep = Christian
A fence or wall = our faith in Christ
A field = pasture with rich soil, good foods (God’s Word) and fountain of living water (the Holy Spirit)

We can live out holiness through our faith when we are filled with the word of God as our bread of Life and the Holy Spirit as living water. Therefore now we don’t have to sin!

1John 5:18We know that whosoever is born of God sinneth not; but he that is begotten of God keepeth himself, and that wicked one toucheth him not. 
Moreover because we are on the rich soil we can live righteously like Jesus and bear the fruits of the Spirit and the fruits unto holiness. 

Romans 6:22But now being made free from sin, and become servants to God, ye have your fruit unto holiness, and the end everlasting life. 
There is no other places than Jesus where we can live safely and peacefully. The book of John teaches us clearly how to dwell in Him. 


John 15:10If ye keep my commandments, ye shall abide in my love; even as I have kept my Father’s commandments, and abide in his love. 

Leviticus 25:18-19 Wherefore ye shall do my statutes, and keep my judgments, and do them; and ye shall dwell in the land in safety.And the land shall yield her fruit, and ye shall eat your fill, and dwell therein in safety.
  

The Shepherd protects us from evil by His blood, however,  if we don’t obey His Word we are not in the safe sheepfold. 
Now will you follow His voice or listen to the strangers and give up the eternal life? 
Let’s follow after Jesus the Shepherd Who strengths our faith as He is the author and finisher of our faith! 

God bless you!!


(KJV)

Evangelist Yumi, Acts 29 Japan
www.acts29japan.com


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2012年8月26日日曜日

ヨハネ10章1-5節について


 日本語聖書で読むと曖昧な部分も、欽定訳(KJV)で読むとはっきりすることがとても多いです。さらには、翻訳が全く異なっていることに驚かされる場合もあります。
今回はヨハネの福音書より、羊飼いについて記されている101-5節について説明したいと思います。下は私の翻訳ですが、意訳せずに直訳しました。そうすることで御言葉がはっきり伝わるからです。


ヨハネ10:1-5(KJV の私訳)
1 Verily, verily, I sayunto you, He that entereth not by the door into the sheepfold, but climbeth upsome other way, the same is a thief and a robber.
まことに、まことにあなた方に告げます。羊の囲いの中に戸口(ドア)を通らないで入らず、他の道をのぼって来る者は、泥棒や強盗と同じです。)

2 But he thatentereth in by the door is the shepherd of the sheep.
  (しかし、戸口を通って入るのはその羊達の羊飼いです)

3 To him theporter openeth; and the sheep hear his voice: and he calleth his own sheep byname, and leadeth them out.
 (門番は羊飼いに戸を開けます。そして羊達には羊飼いの声が聞こえるのです。羊飼いは名前で自分の羊を呼び、先導するのです。)
4 And when heputteth forth his own sheep, he goeth before them, and the sheep follow him:for they know his voice.  
 (そして、羊飼いが自分の羊を外に連れ出す時、羊飼いは羊の前に立ち、そして羊は彼の後について行くのです。なぜなら、羊達は羊飼いの声を知っているからです。)

5 And a strangerwill they not follow, but will flee from him: for they know not the voice ofstrangers.  
 (羊達は見知らぬ者にはついて行かず、かえってその者から逃げます。というのは、羊達は見知らぬ者の声を知らないからです。)



ここで注目していただきたいのは、英語のdoor wayです。新改訳聖書等日本語聖書では見逃しがちですが、このdoorはノアの箱船の戸です。wayとはイエス様のことです。


Genesis 6:16 
 A window shaltthou make to the ark, and in a cubit shalt thou finish it above; and the doorof the ark shalt thou set in the side thereof; with lower, second, and thirdstories shalt thou make it.

創世記6:16 
 箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。(新改訳)
   Genesis7:16  
 Andthey that went in, went in male and female of all flesh, as God had commandedhim: and the Lord shut him in.

 創世記7:16
はいったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。(新改訳) 

John 14:6  Jesus saith untohim, I am the way, the truth, and the life: no man cometh unto the Father, butby me.

ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(新改訳)


私たちクリスチャンはイエス様を羊飼いとする羊の群れです。
どこにいれば私たちは悪(罪)から守られるのでしょうか? それは、囲いの中です。 では、「羊の囲い」(新改訳)とはどういう所なのでしょうか?
手元にある辞書(Oxford英英辞典)では次のように説明しています。

sheepfold: an area in afield surrounded by a fence or wall where sheep are kept for safety. 
(羊の安全のために柵や壁で囲まれた原っぱ) 


羊=クリスチャン 
柵や壁=イエス様への信仰 
原っぱ=牧草地=食べ物(御言葉)と水(聖霊)の豊かな土壌 

私たちはキリストへの信仰を貫き通すことで、命の糧である御言葉と命の水である聖霊に満たされ、罪を犯さないですむのです。 



1ヨハネ5:18  神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。(新共同訳)  


さらには、豊かな土壌にいるため、私たちはイエス様のように正しく生きることができるようになり、御霊の実や永遠の命にいたる聖潔の実を豊かに実らせることができるのです。   



ローマ6:22   しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。(新改訳)


私たち羊が安心して過ごせる場所は、イエス様以外にないのです。では、イエス様のうちに住まうとはどういうことなのでしょうか?
ヨハネの福音書ではイエス様とつながる方法も教えてくれています。



ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

ヨハネ15:10もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。(新改訳) 

レビ記25:18-19あなたがたは、わたしのおきてを行ない、わたしの定めを守らなければならない。それを行ないなさい。安らかにその地に住みなさい。その地が実を結ぶなら、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。(新改訳)




羊飼いは私たちを命をかけて悪から守ってくださいますが、御言葉を守らなければ囲いの内にいるとは言えないのです。 さあ、あなたはイエス様の声に聞き従いますか?それとも、見知らぬ者の誘いにのって、永遠の命を放棄してしまいますか?  信仰の創始者であり完成者である私たちの羊飼いイエス様についていきましょう。 この記事がみなさんの祝福になってくだされば幸いです。 



(英語の聖句はKingJames Version より引用) 


Evangelist Yumi, Acts 29Japan





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2012年8月4日土曜日

反論に対する回答2「歌を伝道の武器にしていませんか?」について

まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。-マタイ12:34 


聖書は心に満ちていることが口から出てくると言っています。
聖霊に満たされた人間は当然御言葉が出てきます。
 それが生きる基準だからです。

 宣教とは、御言葉を宣言して行く行為であり、また礼拝でもあります。
イエス様が弟子達を世に送り出したのは、歌を歌わせるためではなく、悔い改めの宣教をさせるためです。
イエス様ご自身がそうでした。
バプテスマのヨハネもペテロもそうです。
それが神の御心なのです。 


この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」-マタイ4:17 


神は、ご自分の定められた時に、このみことばを宣教によって明らかにされました。私は、この宣教を私たちの救い主なる神の命令によって、ゆだねられたのです。――このパウロから、-テトス1:3 


神様が人を救う手段に宣教を定めました。私でも他の牧師でもないのです。もし、これが受け入れられないのなら、あなたは神の反逆者です。 


事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。-1コリント1:21 


あなたが御言葉を宣言し続ける宣教を恥じるなら、イエス様もあなたを恥じることでしょう。
もし、宣教を愚かなことだと思うのなら、その宣教は御言葉に従順だという証拠です。
宣教の言葉の愚かさを通して人を救うのが神だからです。 


このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」ーマルコ8:38 



ヨハネのバプテスマが殺されたのはなぜでしょうか? 神の言葉を宣言し続けたからです。
イエス様が殺されたのはなぜですか? 父なる神の言葉を宣言し続けたからです。
 ステファノが殺されたのはなぜでしょうか? イエス様の復活の証人として御言葉を曲げなかったからです。
 歌を歌って殺されたのではないのです。
 歌は宣教ではないのです。


神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。ーヘブル4:12

御言葉は鋭く聞き手の心を貫きます。罪にまみれた生き方をしている人間は、当然のように拒絶反応が出てきます。自分が正しいと主張し続けるなら、神はその人を高慢な者とみなしますが、反省し、救いを求める者はへりくだった者として、恵みを豊かに注ぎ、救いに導くのです。


しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」ーヤコブ4:6


それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。ーテトス3:7

 もし聖書の言葉を受け入れないまま賛美歌を歌っているのなら、それは真の賛美ではありません。ただ気分がよくなるために歌っているだけであり、それを伝道と言っているなら高慢でしかありません。
何を伝道しているのか、非常に疑問です。


(新改訳聖書より引用)



Evangelist Yumi, Acts 29 Japan
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2012年8月3日金曜日

質問回答その1「歌を伝道の武器にしていませんか?」について

前回の記事「歌を伝道の武器にしていませんか?」を読んでいただきありがとうございました。 おかげさまで大反響を呼び、質問もいくつかお受けしましたので、その回答の一部を掲載したいと思います。 このブログを通して皆様に祝福がありますように。

 【質問】賛美や奉仕は証となり、証の手段として賛美をしてもよいのではないか?

【回答】
 まず、証は福音ではありません。 また、音楽を通して伝道するようにという命令は聖書のどこにありますか? 

宣教とは御言葉を宣言して行く行為です。
律法を提示することは、今のあなたの現在の姿を示してくれます。
あなたが今どんな状態であるのか。
そのままで神に喜ばれるのか、あるいは怒りのあまり地獄に落とされる状態なのか。
そして、初めて自分には助けが必要だと理解できるのです。

 多くの人が誤解していますが、福音とはあなたの罪を赦すこと、それだけではないのです!!
 洗礼を受けたからといって、必ずしも天国にいけるとは限りません。
 暗闇のうちを歩いているのなら、神と正しい関係にありません。
 福音とは、罪から解き放たれることが可能であると知らせることです。
 罪から解放されるとは、もう罪を犯し続ける必要がないということです。
 暗闇の世界から解放され、イエス様が歩んでこられたように、聖い生き方をすることが可能であり、そうすることで救われるのです。
なぜなら、罪人は天国にいけないからです。
そのためには、罪を悔い改め、イエス様を救い主、あなたの人生の主として受け入れ、聖霊に造りかえてもらわなければならないのです。


 すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。-ヘブル12:14 


「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」1ヨハネ1:6,7 


賛美歌を歌うことによって、このような説明ができますか? 
賛美や奉仕はクリスチャンとして当たり前の行為ですが、それは伝道とは言えません。 


「というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。」 1コリント9:16 


「こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。」ヤコブ4;17

(新改訳聖書より引用)

 Evangelist Yumi, Acts 29 Japan
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