2014年11月30日日曜日

イエス様の御名の意味

マタイ1:21 
マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。 

 ローマ6:23 
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。 

イエス様は罪から私たちを救ってくださいます。その意味について考えたことがありますか? 多くの人は、イエス様が私たちの罪を赦してくださって、天国へ迎えてくださったと解釈していると思います。 そして、地獄での第二の死から救ってくださったのだと。
確かにその通りです。しかし、もう一歩深く考えてみませんか? 

ローマ6:23によれば、罪から来る報酬は死です、とあります。イエス様は私たちが日々罪を犯さなくてすむようにしてくださったのです。 

どうしても私たちは罪を犯してしまう弱い罪深い人間だと思っていませんか? もし、そう思っているのなら、まだイエス様を理解していないことになります。 罪を犯す者は誰でも裁きにあいます。洗礼を受けたことイコール救いの保証とはならないのです。洗礼を受けた後でも罪を犯したままなら、クリスチャンとなる前よりも厳しく裁かれるのです。 

ヘブル10:26 
もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。 

 真理の知識を受けて後とは、キリストを知り受け入れてからということになります。つまり、クリスチャンが犯す罪について述べられているのです。 
 イエス様は私たちが罪を犯すことなく暮らせるように力を与えてくださいます。私たちが弱っている時、強めてくださいます。 

 2コリ12:9 
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。 

 ピリピ4:13 
 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 

新改訳では意味があいまいなので、KJVで確認してみましょう。 

 Philipians4:13 
 I can do all things through Christ which strengtheneth me. 

私を強くしてくださる方とはイエス様のことです。この世において全く罪を犯すことなく、完璧ないけにえとなってくださった方。そして死からよみがえったイエス様です。 

テトス2:11-13 
というのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。 

神の恵みが私たちにどのように生きていけばいいのか教えてくださるのです。この神の恵みはイエス様から与えられているのです。だから、恵みによって救われたというのは、この教えによって私たちが罪を犯さないで聖なる生き方ができるようになった。すなわち罪から解放されたという意味なのです。 

 神の恵みと憐れみを混同しないでください。 イエス様の名前の意味は私たちを罪から救うということでした。私たちが罪を犯さないですむように、罪の縛りから私たちを解放してくださったのです。ハレルヤ! 

皆様にたくさんの祝福がありますように!


新改訳聖書第3版及びThe King James Versionより引用  

 Evangelist Yumi 
 Acts 29 JAPAN
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2014年11月29日土曜日

憎む神、怒る神

今回は神が憎んでいることについて書いてみたいと思います。 

御言葉の引用は、日本語は新改訳聖書第3版(新改訳)、英語はThe King James Version (KJV)を用いています。 

 「神は愛なり」という言葉は、クリスチャンではない人の間でも深く浸透している考え方だと思います。彼らの解釈は、神様は愛のお方であるから、どんなことも受け入れ、許してくれ、愛してくれるというものです。あるがままの私を受け入れ、ずっと見守ってくださるという考え方です。 

しかし、聖書ではそのようなことは語られておらず、単なる人の思い込み、またはファンタジーと言えるでしょう。 下の聖句を読んでみてください。 

詩編 7:11 
神は正しい審判者、日々、怒る神。 

日本語のみでこの聖句を読んでみると、神様が何に怒っているのかよく分かりませんね。 KJVを読むと神様が怒っている内容が明瞭です。 

Psalm 7:11 
God judgeth the righteous, and God is angry with the wicked every day. 
(神は正義をもって裁き、日々邪悪な者に怒っている。) 

邪悪な者、つまり罪を犯している者に怒っているのです。神様は罪から離れない人を受け入れてはいないのです。神様は悪を行う者を裁かれます。 

ローマ8:16 
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 

この御言葉が示す通り、クリスチャンは神の子です。私たちのお父さんは神様なのです。神様の子であるなら、神様の愛することを愛し、憎むことを一緒に憎んでいかなければならないのです。 もし、心地よい罪から離れたくない、あるいは離れがたいと思っているのなら、あなたのお父さんは神様ではありません。悪魔です。 

ヨハネ8:44 
あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。 

 ところで、あなたの生き方は神様を喜ばせていますか? 神様を怒らせたり悲しませたりしていませんか? つまり、聖書の言葉を口では愛していると言いつつ、同じ口から相手をののしる言葉が出てしまったり、または心の中で思ってしまったり…酒やタバコをやめられないでいたり、または隣人の罪を容認してしまったり...心の中で姦淫を犯してしまったり、他人のものをうらやましがったり… 

箴言8:13 
主を恐れることは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれたことばを憎む。 

1コリント6:9-10
 あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。 

ちなみに、不品行な者には同性愛も含まれます。 

これらの悪も神様は許してくださっていると教えている偽預言者(牧師)も多く存在しています。でも、だまされてはいけません。だまされたままでいることも罪なのです。 

ルカ9:23 
イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 

KJVにはこう書いてあります。

Luke 9:23 
 And he said to them all, If any man will come after me, let him deny himself, and take up his cross daily, and follow me. 

「自分を捨て」”deny himself”とは、あなたのこの世で願っていることをあきらめなさいということです。イエス様の弟子は父の葬儀に出ることをあきらめました。家族との生活もあきらめました。最後には自分の命をも捧げました。 

「自分の十字架」とはあなたのこれまでの罪深い生き方を指しています。罪のうちに生きることは居心地良いものです。その慣れ親しんだ罪の生活を断念し、心の十字架にはりつけます。そして、イエス様の言葉を守るため、そしてイエス様の御言葉を広げていくため、心の中で十字架を背負いつつ一生を捧げていくのです。 

宣教師の多くは、この世で味わうことができる幸せを十字架にかけ、神様を知らない人たちの中に身を捧げました。ある人は結婚をあきらめました。ある人は豊かな生活をあきらめました。ある人は仕事をあきらめました。それらを享受することは罪ではなかったと思います。でも、この御言葉を胸に、イエス様の道を歩んでいったのです。そして、今私たちに信仰をもつ道が拓かれたのです。

ローマ8:8 
肉にある者は神を喜ばせることができません。 

ヘブル11:6 
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

「肉にある」とは罪を犯している状態を意味しています。クリスチャンであっても罪を犯せば神様を怒らせているのです。決して神様が喜んでいると思ってはいけません。信仰とは、イエス様の力にすがれば罪を克服できるという信頼と実行力です。 

神様の愛する義をあなたも愛しますか? 義とは神様の言葉すべてです。あなたがもし神様を愛するなら、神様もあなたを喜んで受け入れてくださいます。 

ヘブル1:9 
あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」 

この聖句に「神よ」という呼びかけがありますが、実際は「神は」と訳した方が分かりやすいと思います。これは神様への言葉ではなく、神様を信じて愛する人への言葉だからです。 

神様に喜ばれる聖なる生き方をしましょう。そうすれば、神様はあなたを何倍にも祝福してくださることでしょう。

Evangelist Yumi
Acts 29 JAPAN


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2014年11月25日火曜日

クリスチャンになってからの罪

ルカ23:34
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

この御言葉は、イエス様が十字架上で亡くなられる前、父なる神に懇願した祈りの言葉です。誰かに傷つけられた時、私はこの御言葉を思い出し、相手を傷つけ返すことよりも、その人は自分で何をしているのか分からないのだ、赦そうという気持ちに導かれます。

しかし、中にはこの御言葉を用いて、自分の罪深い生活を正当化しようとしている人も少なからず存在しています。彼らはイエス様のこの祈りによって、自分達の罪はすでに赦されていると誤解しているのです。

今回はこの誤解を解くために、クリスチャンになってからの罪について語りたいと思います。

もう1つ、誤解を招きやすい御言葉を紹介したいと思います。

1テモテ1:13
私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。

パウロは、かつてクリスチャンを迫害していた中心人物であったことを告白しています。この御言葉を読むと、どんなにひどい罪を犯したとしても、神様は赦してくださるのだと安心できますね。

でも、気をつけて読んでほしいのです。これは、パウロがまだ熱心なユダヤ教徒であったとき、イエス様の愛を知らないで行った罪のことについて語っているのです。これが、「信じていないときに知らないでしたこと」という意味です。

冒頭で紹介したイエス様の祈りにも同じような言葉が語られています。「彼らは何をしているのか自分でわからない」という言葉です。つまり、大切なことはこの2つの聖句は、イエス様は何でも赦してくれるからクリスチャンになってからも罪を犯してもいいと言っているのでは決してないのです。むしろ、イエス様とイエス様の掟を知らない人たちと、心から罪を悔い改めた人に向けての言葉なのです。

エレミヤ31:33
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

1ヨハネ3:5
キリストが現われたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。キリストには何の罪もありません。

1ヨハネ5:18
神によって生まれた者はだれも罪を犯さないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。

聖霊によってクリスチャンとして生まれ変わる時、神様は掟を私たちの心に刻んでくださいます。私たちの心に聖霊が住まうからです。イエス様が私たちのうちに住まわれ、私たちはイエス様の命を生きるのです。だからもう罪を犯さないですむのです。
イエス様は御言葉です。そして道であり、真理であり、命であることを忘れないでください。


ヘブル10:26
もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

「真理の知識を受けて後」とは、クリスチャンになってからという意味です。「ことさらに罪を犯し続ける」とは、罪と知りつつ罪を犯し続け、罪から離れないという意味です。

ルカ12:10
たとい、人の子をそしることばを使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者は赦されません。

もしクリスチャンになってからも、まだ罪深い生活をし続けても大丈夫と信じているなら、あなたは聖霊の力を否定している偽り者と断定されます。心から悔い改め主の元に立ち返らない限り、あなたは燃える火の海に投げ込まれることでしょう。

あなたはそれでも手放しがたい罪に身をゆだねていたいですか? 
今すぐ悔い改めなさい。そうすれば憐れみ深いイエス様は赦してくださって、イエス様の義に導いてくださることでしょう。
みなさまの上にたくさんの祝福がありますように。



Evangelist Yumi 
Acts 29 JAPAN




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Willful sins are not forgiven!


Then said Jesus, Father, forgive them; for they know not what they do. And they parted his raiment, and cast lots.

This was Jesus’ prayer to God when He was dying on the cross. I have been encouraged to forgive those who did wrong to me instead of cursing them. Also I believe there should be people who quote this scripture justifying their sinful life. They may think they are forgiven because of this prayer.

Here is another popular verse, which might be confusing to some people.

I Timothy 1:13 
Who was before a blasphemer, and a persecutor, and injurious: but I obtained mercy, because I did it ignorantly in unbelief.

These verses don’t give you any permission to sin. They are for non-believers, who don’t know Jesus and His commandments, and for those who repent their sins.

But this shall be the covenant that I will make with the house of Israel; After those days, saith the Lord, I will put my law in their inward parts, and write it in their hearts; and will be their God, and they shall be my people.

And ye know that he was manifested to take away our sins; and in him is no sin.

We know that whosoever is born of God sinneth not; but he that is begotten of God keepeth himself, and that wicked one toucheth him not.

As a Christian we have the truth since God wrote His Law in our heart when we were born again by the Spirit of God. We don’t sin because He lives in us and we live His life. Remember He is the Way, the Truth, and the Life as well as the Word!

Hebrews 10:26 
For if we sin wilfully after that we have received the knowledge of the truth, there remaineth no more sacrifice for sins,

And whosoever shall speak a word against the Son of man, it shall be forgiven him: but unto him that blasphemeth against the Holy Ghost it shall not be forgiven.

If you think or act as if you were innocent enough to sin after you became a Christian, you would be a liar and deny the power of the Holy Spirit. You would be thrown into the lake of fire unless you truly turn back to the Lord.


Are you still willing to enjoy your favorite sins? Repent before it is too late and Jesus will forgive you and lead you unto righteousness. May God bless you!

Evangelist Yumi
Acts 29 JAPAN
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