2014年11月25日火曜日

クリスチャンになってからの罪

ルカ23:34
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

この御言葉は、イエス様が十字架上で亡くなられる前、父なる神に懇願した祈りの言葉です。誰かに傷つけられた時、私はこの御言葉を思い出し、相手を傷つけ返すことよりも、その人は自分で何をしているのか分からないのだ、赦そうという気持ちに導かれます。

しかし、中にはこの御言葉を用いて、自分の罪深い生活を正当化しようとしている人も少なからず存在しています。彼らはイエス様のこの祈りによって、自分達の罪はすでに赦されていると誤解しているのです。

今回はこの誤解を解くために、クリスチャンになってからの罪について語りたいと思います。

もう1つ、誤解を招きやすい御言葉を紹介したいと思います。

1テモテ1:13
私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。

パウロは、かつてクリスチャンを迫害していた中心人物であったことを告白しています。この御言葉を読むと、どんなにひどい罪を犯したとしても、神様は赦してくださるのだと安心できますね。

でも、気をつけて読んでほしいのです。これは、パウロがまだ熱心なユダヤ教徒であったとき、イエス様の愛を知らないで行った罪のことについて語っているのです。これが、「信じていないときに知らないでしたこと」という意味です。

冒頭で紹介したイエス様の祈りにも同じような言葉が語られています。「彼らは何をしているのか自分でわからない」という言葉です。つまり、大切なことはこの2つの聖句は、イエス様は何でも赦してくれるからクリスチャンになってからも罪を犯してもいいと言っているのでは決してないのです。むしろ、イエス様とイエス様の掟を知らない人たちと、心から罪を悔い改めた人に向けての言葉なのです。

エレミヤ31:33
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

1ヨハネ3:5
キリストが現われたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。キリストには何の罪もありません。

1ヨハネ5:18
神によって生まれた者はだれも罪を犯さないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。

聖霊によってクリスチャンとして生まれ変わる時、神様は掟を私たちの心に刻んでくださいます。私たちの心に聖霊が住まうからです。イエス様が私たちのうちに住まわれ、私たちはイエス様の命を生きるのです。だからもう罪を犯さないですむのです。
イエス様は御言葉です。そして道であり、真理であり、命であることを忘れないでください。


ヘブル10:26
もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

「真理の知識を受けて後」とは、クリスチャンになってからという意味です。「ことさらに罪を犯し続ける」とは、罪と知りつつ罪を犯し続け、罪から離れないという意味です。

ルカ12:10
たとい、人の子をそしることばを使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者は赦されません。

もしクリスチャンになってからも、まだ罪深い生活をし続けても大丈夫と信じているなら、あなたは聖霊の力を否定している偽り者と断定されます。心から悔い改め主の元に立ち返らない限り、あなたは燃える火の海に投げ込まれることでしょう。

あなたはそれでも手放しがたい罪に身をゆだねていたいですか? 
今すぐ悔い改めなさい。そうすれば憐れみ深いイエス様は赦してくださって、イエス様の義に導いてくださることでしょう。
みなさまの上にたくさんの祝福がありますように。



Evangelist Yumi 
Acts 29 JAPAN




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